それでも、声をかけた方がいい場面

現場でやってみたこと

― モンテッソーリ的に「関わる」タイミング ―

「見守る」がいつも正解なわけじゃない

モンテッソーリ教育では、
「待つ」「見守る」ことが大切だと言われます。

でも現場にいると、
こんな迷いが出てきます。

「これは、声をかけた方がいいのかな」
「放っておくのは違う気がする…」

私自身、
見守ろうとして逆に不安になった経験が何度もあります。

だから今日は、
私が“声をかけた方がいい”と判断している場面を、
正直に書いてみます。


① 安全が守れないとき

これは一番分かりやすい場面です。

・危険な使い方をしている
・周りの子にぶつかりそう
・怪我につながりそう

こういうときは、迷わず声をかけます。

ただし、
大声で止めるのではなく、

「それ、危ないからやめよう」
「ここでやると、ぶつかるよ」

理由を短く、具体的に伝えるようにしています。


② 周りの子の安心が壊れそうなとき

モンテッソーリの自由は、
「みんなが安心して過ごせる」ことが前提です。

・叩く
・強い言葉を投げる
・相手が嫌がっているのに続ける

こういう場面では、
そのまま見守ることはしません。

「それは嫌だったみたいだよ」
「ここでは、叩かないよ」

行動にだけ線を引く
人格は否定しません。


③ 子どもが「助けて」と出しているサインがあるとき

言葉で言わなくても、
子どもはサインを出しています。

・何度も大人を見る
・手が止まる
・イライラが強くなる

以前は、
「自分で考える力を育てなきゃ」と思いすぎて、
気づいても声をかけなかったことがありました。

でもそれは、
子どもを一人で抱えさせていたのかもしれません。

今は、
「手伝ってほしい?」
「どうしたの?」

選べる形で声をかけるようにしています。


④ 気持ちが大きく揺れているとき

悔しさや怒りが強いとき、
子どもは考える余裕がありません。

そんなときは、
アドバイスよりも先に、

「悔しかったね」
「嫌だったんだね」

気持ちを言葉にする声かけをします。

落ち着いてからでないと、
次の一歩は考えられないからです。


⑤ 次につながるヒントが必要そうなとき

ずっと同じところで止まっているとき、
少しだけヒントを出すこともあります。

でも、答えは言いません。

「ここ、どうなってると思う?」
「さっきと違うところ、あるかな?」

考える余地を残した声かけを意識しています。


声をかける=コントロールではない

以前の私は、
声をかけることで状況を「整えよう」としていました。

でも今は、
安心と考える余白を守るために声をかけています。

この違いは、とても大きいと感じています。


迷ったときの、ひとつの基準

今でも迷ったときは、
この問いを自分に投げています。

「この声かけは、
 子どもを楽にするだろうか」

答えが「YES」なら、声をかける。
「コントロールしたいだけかも」と感じたら、待つ。

それだけで、
関わり方が少し整理されました。


まとめ|声かけは、子どもを守るためにある

声をかけた方がいい場面は、確かにあります。

・安全
・安心
・助けを求めているとき
・気持ちが大きく揺れているとき

見守ることも、声をかけることも、
どちらも大切な関わりです。

完璧に判断できなくてもいい。
迷いながら、考え続けていること自体が、
もう十分モンテッソーリ的だと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました