― 声かけは、魔法の言葉じゃなかった ―
はじめに|理論ではうまくいくはずだった
モンテッソーリ教育を学び始めたとき、
「叱らずに伝える声かけ」
「子どもが自分で考えて行動する」
そんな姿を思い描いていました。
理論を知れば知るほど、
「これは現場を良くするはずだ」
そう信じて、実際にクラスに入らせてもらう機会も増えていきました。
けれど、そこで感じたのは──
同じ声かけをしても、全く伝わらないクラスがある
という現実でした。
躓いたこと①|モンテッソーリの声かけが通らない
いくつかのクラスに入らせてもらい、
叱らずに伝える、問いかける声かけを意識して関わりました。
けれど、
あまり伝わっている様子のないクラスも、確かにありました。
そういったクラスでは、普段から
- 強く叱られる
- 「ルールだから」「だめなものはだめ」で行動を止められる
そんな関わりが多い印象がありました。
担任の先生がその場を離れた途端、
子どもたちは好きな行動を取り始めます。
「叱られないから、今ならいい」
そんな空気が流れているようにも感じました。
「なんでだめだと思う?」と聞いてみると…
子どもに
「なんで、これはだめだと思う?」
と聞いてみたことがあります。
返ってきた言葉は、
「そう決まってるんだよ」
「ルールだから」
なぜだめなのかを考える、という経験が少ない
そんな様子が見えました。
一方で、落ち着いている担任のクラスでは、
同じ声かけでも通りやすく、
子ども同士で考えて行動する姿も多く見られました。
声かけは「魔法の言葉」ではない
ここで強く感じたのは、
モンテッソーリの声かけは、
一度使えば効く魔法の言葉ではない
ということです。
日々の積み重ねの中で、
- 考える経験
- 話を聞いてもらえる経験
- 自分の行動を振り返る経験
そうした土台があって、
初めて声かけが「意味を持つ」。
声かけは、
子どもが考えて行動できる環境づくりの一部
なのだと感じました。
躓いたこと②|「優しすぎる」「もっと叱った方がいい」という声
もう一つ、現場で感じた大きな壁があります。
それは、
周りの先生からの意見です。
- 「優しすぎる」
- 「もっと叱らないと」
- 「厳しくした方が子どものため」
特に、長く保育に携わってきた先生ほど、
厳しく叱ることが当たり前になっている場面も多くありました。
一人だけ違う関わりをする難しさ
子ども同士の話し合いを、少し離れて見守っていると、
他の先生が途中で介入し、
叱ってしまうこともあります。
一人の先生がモンテッソーリ的な声かけをしても、
周りの関わりが変わらなければ、効果は薄くなります。
それどころか、
職場の中で居心地の悪さを感じてしまう
そんな状況もありました。
賛同を得にくいからこそ、
続けること自体が難しい。
これは、理論では見えにくい現場の現実です。
躓いたこと③|正直、難しい
モンテッソーリ教育は、正直に言って
簡単ではありません。
- 感情的になってしまうこともある
- 知識が必要
- すぐに結果が出るわけではない
従来の関わりでは、
先生 → 指示を出す
子ども → 叱られないようにルールを守る
という形が多く、
大人がコントロールする方が、短期的には楽です。
一方、モンテッソーリ的な関わりでは、
先生 → 環境を整える
子ども → 子ども同士で考える
時間も根気も必要になります。
それでも、やめなかった理由
躓きながらも、
それでもこの考え方を手放せなかったのは、
- 落ち着いたクラスの子どもたちの姿
- 自分たちで考え、行動する力
- 大人がいなくても続く秩序
それを、実際に目にしたからです。
おわりに|完璧じゃなくていい
今は、こう思っています。
- 声かけは、積み重ね
- 一人で変えようとしなくていい
- モンテッソーリ「そのまま」じゃなくていい
現場に合わせて、
少しずつ、できるところから。
躓いた経験も含めて、
それが現場のリアルなモンテッソーリ教育だと思っています。


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